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起きて、まず父のお墓参りへ。父のお墓は先祖の墓になっており、目の前に立ってもあまり父の気配が感じられなかった。手を合わせて近況報告をしながらも、すこし違和感。すると、Tちゃんから、「今日はパパがいる感じしなかったね」と言われて驚く。やっぱりそうなのだろうか。金沢に着いてからずっと父の気を感じていたので、お墓にいないのは意外だった。車に乗る際、ちょうちょがまた飛んでいた。

 

父も好きだった「湯涌温泉」に連れて行ってもらう。山のなかにあり、自然の空気がからだの中に入ってくる。露天風呂からは山の木をみることができて、気持ちがいい。今日はサウナにも入っておいた。

 

すっきりとしたなかで、定食屋さんに行こう、と温泉街にあるお店に連れて行ってもらった。Tちゃんが連れて行ってくれるご飯はなんでもおいしい。定食がおすすめであったけど、カレーライスにした。お風呂上がりにカレーライスを食べることは幸せだとおもった。お刺身も頼んでくれて、甘海老とさわら。おいしい〜。山で食べる刺身、贅沢だ。

 

そのあとは今年開館したばかりの石川県立図書館へ。とても大きく、ドーム型に本棚が広がっている。最近の本屋に多い、提案型のジャンルの仕切りで本が並びながらも、図書館という性質上古い本が多くあり、普段見かけない並びが多くうまれていてとても楽しかった。まずはすべてを満遍なくみたいとおもっていたのだけど、そこまでの時間はなかった。15時になって、叔父と叔母に迎えにきてもらう。

 

少し緊張していた。もう何年も金沢に来ていなかったし、わたしも歳を重ねていた。祖父母が入所している施設に向かいながら、自分の近況や、みんなの近況を聞いた。叔母さんが韓国ドラマ好きであることがわかり、急に安心がふわっと会話を包む。韓国ドラマの話をすることは、わたしにとって天気の話をするようなことに近いのかもしれない。『賢い医師生活』のミドがかわいい、というところまで話ができてだいぶ安心した。

 

祖父母が入居している施設は、外からの光が明るく入っていそうな、明るい施設だった。事情があって、祖父母はお互い同じ施設に入居していることを知らないので、別々に面会をする。最初はおばあちゃん。久しぶりに、おばあちゃんのしっかりした声で呼んでくれる「さとみちゃん」を聞いた。呼んでくれたあとのおばあちゃんは車椅子でじっとうなだれており、これが最近の基本姿勢ということ。おやつを食べたばかりだけど、叔母さんが持ってきたスイートポテトもたべたい、と完食していた。高齢になると、食べることと寝ることがたのしみなのよね、という叔母さんの言葉に納得する。なるべくいることを伝えようと、手をにぎって話すと祖母も受け入れてくれたようで、「仕事はなにしているの」「がんばりなさい」と話してくれた。その後、祖父が面会室にきた。緑内障でほとんど目がみえないそうだけれど、「さとみちゃん、よくきてくれたね」と祖父も痩せ細って、父が末期癌のときに痩せて目がとても大きかったことと目鼻立ちが重なり、思わず涙がたれてしまった。たれるとおじいちゃんも涙スイッチが入ってしまい、「よくきたね」「会えるのはもう最後かもしれないから」とまた泣く。握っていた私の手をみて、「苦労してきた手だ」と言われる。おじいちゃんは適当に言ったのかもしれないが、わたしは号泣してしまった。きたことを何度も喜んでもらえたので、本当にきてよかった。連れてきてくれた叔父さん、叔母さん、ありがとう。

 

帰りは本屋「石引パブリック」でおろしてもらう。カフェも併設されており、ドリップコーヒーの

たっぷり、を選んで本棚をたくさん見た。年末に閉店する、というニュースを聞いて悲しくなる。残ったリトルプレス はオンラインで販売などするのだろうか。店内には、石川出身の作家さんやお店のZINEなどが置かれており、とても惹かれた。リソグラフの印刷はそのまま続けられるとのこと。昨夜、Tちゃんとの会話で本屋をやることが少しだけ光がみえたかもしれない...と考えていたところだったが、ひとつの現実を知る。

 

この本屋だから買いたくなった、という本を選んでレジに持っていくと、スタッフの方が亜衣さんの友人だとわかってテンションがあがる。本屋業界はほんとうに狭い。閉店前、亜衣さんのご友人が働いている石引パブリックにくることができて本当によかった。それに、この場所は父ががんで最後まで入院していた金沢大学病院がある通り沿いだった。悲しい記憶がある場所に本屋があったことは、

私にとって希望。

Tちゃんに迎えにきてもらい、金沢での最後の夜ご飯をおうちで食べた。豚肉のお鍋と、芝寿司(父がだいすきだった、わたしもだいすき)それから生牡蠣!!!能登の生牡蠣だよ、ってさらっと出してくれて、わたしは生牡蠣がだいすきなので、悟られないように、だけど結局ものすごい勢いで

食べた。大きくて、つるつるで、おいしかった。。牡蠣を食べると、力がわく。お鍋はTちゃんがキムチも準備してくれて、豚や春菊をキムチで巻いてたべて。。おいしすぎる。金沢にきてから、ずっとおいしいものばかり食べていたので、ご飯たちとのお別れも寂しいほどだとおもった。

 

ビールを飲んでいたら、ルビーちゃんとも仲良くなれる気がして指に乗ってもらった。びっくりした、足の掴み具合がきもちいい。何度も乗せていたらつつかれたりもしたけど痛くはなく、かわいい。ルビーちゃんは寂しがり屋で、冷蔵庫にうつる自分をお友達だと錯覚し、たまに会いに行く。愛おしい子だとおもった。仲良くなりたいんだ、とアピールしていたら、肩に乗ってくれたり、手の甲で羽繕いをしたり、フンを二回もした。安心しているからだ、と教えてもらって、わたしも安心する。また、今度きたときもこの続きのようにコミュニケーションとれるといいのだけど。

 

食後は色々な話をしたり聞いたり、考えた。父が亡くなって10年近くのなかで、いや、亡くなる前から起きていた家族のことについて。母方の祖母もそうだけれど、32歳の私の祖母世代の女は本当に苦労してきた。家父長制のなかで、多くのことを我慢をし、子を必死に育て、家の中を守った。ようやく自分がそのサイクルから抜け出すチャンスが訪れたとき、それはもう心が折れたあとなのではないか。子どもの頃、家族のシステムを理解していなかったこと、大人たちを守ることができず、いまようやく愛情をもつことに後悔ばかり。

 

Tちゃんが、父の写真をみせてくれた。入院中の写真のアルバムは、自由にみてね、と言ってもらって少し開いてみたのだけど、やっぱりきつかった。父は笑顔を大切にするのでどの写真も笑っているけど、弱った体や表情の筋肉が生々しい。どうしても見ることができず、また涙が止まらなくなってしまった。祖父にあったときに、涙腺がゆるんだようだ。

 

家族のことも、自分の周りで起きていることも、最初にすべてを理解することは難しい。自分の譲れない部分もある。だけど、特に大切な人たちに対しては、複数の場所からみること、善悪の境界線をひかないこと、いつだってゆるせる準備をしておくこと。そうありたい、と思う。

 

あっという間にバスの時間が近づいてきて、金沢駅まで送ってもらう。Tちゃん、ずっとおもてなししてくれて疲れてしまったとおもうけど、本当に楽しくて、元気が回復したよ。またいつでも来てねといってもらったので、いつでも行きたいとおもう。

 

バスに乗る時、いつもの父の言葉を思い出した。生前、私が夜行バスに乗る時は父が送りにきてくれた。一度、バスに乗ったら父が乗降口のところから運転手さんに話しかけているのが聞こえた。「うちの大事な娘なんです、絶対に気をつけて安全運転でおねがいしますね」と小さく叫んでいた。恥ずかしくなりながら、涙がたれた。今もこの話を思い出すと、すぐに涙がたれてしまう。

 

父が大事にしてくれたから、父を大事に思う人たちにも、あたたかさをいつももらっています。すぐに寂しさを感じるけれど、寂しくない理由のほうがたくさんあったこと、久しぶりに思い出すことができたような気がする。

 

東京に帰るぞ。少しだけ意気込みながら、睡眠導入剤を飲んで就寝。

 

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