221012_wed_晴のち雨

突発的に休んだ日の翌日。ちょっと緊張しながら本屋に向かう。

 

本屋では、「朝の番」の4人がフェアの設営をしていた。会いたくて少しはやく家を出たから、間に合ってよかった、とほっとする。

 

tさんが、エレン・フライスの写真と入浴茶というものをくださった。事前に、「写真いりませんか?」と聞いてくださったもので、ちょっと楽しみにしていた。この作品を手放そうとしたときにわたしを思い出してくださったと聞き、エレン・フライスの本や雑誌『purple』は読んだことがないので申し訳ない気持ちもするけれど、気になる存在ではあったので、出会いのきっかけをもらったのだ、とまたうれしくなる。部屋のなかで唯一きれいな玄関に飾ろうとおもう。それに、飾ることをきっかけに部屋を片付けようと思った。

 

小学生の頃、「掃除」がテーマの作文で、「掃除をすることは、心の掃除をすることでもある」という、わからないくせにわかったような文章を書いて校内放送で読まれたことがある。数年前までも、その通りだと思っていたけれど、最近はセルフケアのようなものに近いものだと思い始めた。たしかに心がぐちゃぐちゃだと部屋もぐちゃぐちゃになるから、心の掃除ではあるのだけど、「掃除」では割り切ることができない、もっと心と密接で切実なものが、わたしの場合はある気がする。わたしが片付けをしたり、掃除をするときは、自分の心とからだを気にかけている。明日、明後日の休みは病院まわりをしながら少しでも部屋の掃除がしたい。

 

ちなみに、入浴茶は飲むこともできるし、湯船にいれることもできるらしい。

tさんは本当にすごい人で、いつも生活や心を気にかけるきっかけとなる贈りものを、すっとしてくれる。そしてわたしも、素直についていきたくなるような、不思議なみちしるべのようなやさしい人。

 

最後に、亜衣さんと話した。ちょっと精神が限界をきたしていて、日々の連絡でもそのことを漏れるように伝えていた。だけど、今日はただ韓国ドラマの話をした。終わったばかりの『シスターズ』について、そしてこれから作る韓国ドラマファンクラブのZINEについて。亜衣さんの表現やからだの動きがたのしくて、たくさん笑った。

 

夜、版元のNさんからInstagramのフォローがきていた。仕事のご連絡をしたからかなぁ、とストーリーズをひらくと、日記がかかれていた。もしかして、「日記を読むと安心する」というツイートを読んでくださったのだろうか。日記、読んでいいよということなのだろうか。偶然かもしれないし、わからないけれど、なんだか遠いハグをしてもらったみたいで、心のなかがふんわりした。

 

★— 家について、もうひとつ書いた日記

 

帰ってきて、譲っていただいたエレン・フライスの作品を飾るために掃除をする。(ちなみにわたしはエレン・フライス関連の本などは読んだことがなく、手にとるきっかけも一緒にいただいたようでうれしい)

一番物が少ない玄関におくことは決めていたけど、改めてその場所を見て、ほこりをかぶったこの置き物はどうするんだ、と小さな青いドラムを触る。父が暮らしていた部屋から持ってきたもの。わたしが一緒に住んでいた子どもの頃から父の部屋にあったので、なんとなくこれはほしい、と思って、遺品整理の際に持ち帰った。だけどほこりは積もりやすいし、くっついていた部品は壊れかけていて、本当は捨てたい。ほこりを取りながら、もうそろそろ本当に捨てようかなと思った。

だけど、とそれ以上心が動かせない。やっぱり数行前の「子どもの頃から父の部屋にあった」が引っかかってしまう。父の物については、亡くなった直後は洋服を着たり、本をもらったり、今よりももっと物があった。そこから、時が経ち、これ以上は手元にあっても...とぼろぼろになったものから処分していき、今あるのは主に写真、なぜか国際免許証、バリでの日記、置き物、など。(すごく不思議なチョイス)

これで置き物を捨てたら、どんどん父の存在が少なくなっていくではないか、と急に不安になった。それで、処分するのをやめた。今日も、やめた。

思い出して、悲しくなってから、それから怒りがこみあげてくる。なぜ早く死んだのだ、私をおいて、なぜもっと体を大事にしなかったんだ、私をおいて。これ以上怒るとからだが疲れてしまうから、文章にして、一旦終わりにしたい。でも、ああ、わたし怒ってたんだって気づくことができた。それはすごくよかった。明日は、もっと掃除ができたらいいな。