240215-0218

 

日記を書きたい、書きたいと思いながら時間が過ぎてしまった。

一日についてよりも、残しておきたいことについて。

 

24/2/15

Iさんの仕事についていく形で、千葉の九十九里浜へ。車で向かいながら、九十九里浜はとても長い海岸なのだと教えてもらう。着いたのは17時過ぎ頃。風が強い。ちょうど太陽が沈む少し前で、浜辺を歩いた。細かくて、さらさらとした砂がどんどん舞う。風に吹かれ、一瞬たりとも同じにはならない、寂しくて、寂しさには気づかないような砂たち。最近の海の記憶とは、大きくかけ離れている。どこよりも浜辺から海への距離が遠く、私たち以外に人がいないので、ここがどこなのかわからなくなった。

写真を撮ってもらう。広大な砂場を背に、髪も洋服も風に吹かれている姿。

 

24/2/16

昨夜、居酒屋で作ってもらった大きなおにぎりを食べて、また海へ向かった。10時頃。車が駐車場に何台か止まっているし、犬も散歩していた。この辺りはドッグランがあったり、犬が多い。考えたことがなかったけれど、海辺というのは犬にとって幸せな場所だということなのだろうか。

同じ九十九里浜だけれど、少し違う場所だった。その場所によって、風景が変わるらしい。最近Iさんの話を聞いていて、カメラマンというのは土地や天気にとても詳しく、いつも気にかけているのだということがわかった。撮影する写真によって、経験と知識も必要になる。いつも本に囲まれている私は、こうして世界との向き合い方がとても現実的である仕事と、その生活と共にある人間性に驚かされる。

 

今日も風が強かった。最初は靴を履いていたけれど、裸足になって海を撮影しているIさんを見ていたら、私も脱ぎたくなってタイツとスニーカーを脱ぐ。薄手の布バッグを浜辺に置き、タイツは風で飛ばされないようにスニーカーに挟んだ。

 

海は冷たい。そして波が届かない砂浜はあたたかい。歩く場所によって変わる感触を楽しみながら、歩いたり、しゃがんだりする。波について、最初は冷たくて痛くて驚くけれど、段々あたたかく感じるようになる、とIさんが言っていて、私は何度目かの波まで痛かったけれど、忘れる頃に慣れていた。

 

24/2/18

本屋で、少し久しぶりにHさんに会った。たくさんの本を買ってくれたHさんは、最近Twitterをみていないらしい。新刊の情報とか、誰かのおすすめによって左右されるのではなく、本屋に足を運んで、自分の目で本を選びたいのだと言っていた。そうしていたら、今月はたくさん本を買ってしまった、と笑っていて、そうして選ばれた本たちはなんて幸せなのだろうと思う。

 

ちょうど、前の日くらいに電車でスマートフォンで忙しく様々なページを見ている人がいて、つい画面が見えてしまう距離だった。自分も同じように様々なページを見るわけだけど、こうして情報に触れることが簡単だと、思考よりも情報が先に溢れて、自分の頭ではなくてスマートフォンが考えていることが増えてしまうなと考えていたので、Hさんは正反対の場所にいるように輝いていた。

 

仕事上、本の情報は最新のものを頭にいれなければならないので、SNSは欠かすことができない。けれど、もっと自分の手と足での出会いを増やしていきたい。インターネットや便利に思考を奪われないように、抗う選択をしていかないとな。