進さんが亡くなった。進さんと呼んだことは、これまでに一度もない。「金沢のおじいちゃん」。

 

6時半頃にいとこからラインで連絡をもらってから、ずっと言葉がつかえていて、このどうにもならない言葉を外に出せる場所がこの日記しか思いつかなかった。

 

私が元気であれば、東京にいるいとこたちと、今日金沢に行きたかった。

しかし、長距離の移動をする体力、親戚と話す体力が今の自分にはない。今日、無理やりにでも体を金沢へもっていったら、たぶん千切れると思う。

 

祖父の長男である父は、もういない。家族のなかで誰よりもはやくなくなった父は、祖父と祖母を悲しませた。祖父の死に目にあえないこと、父はどんなに悔しいだろうとおもう。祖母の隣にいたかっただろう。

 

数日以内に行くことができるよう、どうにか体調を回復させたい。

葬式はこわい。気力も体力ももっていかれる。それなりの、それなりの力をもっていかねば。

 

おじいちゃん、去年会った時、たくさん泣いていたね。死ぬこと、こわがっていたね。もう目がほとんど見えなくて、さとみちゃん、目は大事にするんだよ、って言ってくれたね。両親が離婚して、父がもういないから、私のことをどんな風におもっているかずっとこわかったけれど、去年喜んでくれて、本当にうれしかったよ。わたしの中に、おじいちゃんの遺伝子もあるんだな、っておもった。家族のなかでひとりぼっちだった父と、きっとどこか別の世界で会えていますように。

 

国語の先生のおじいちゃん。片町で「舟喜寝装」を営んだおじいちゃん。

わたしまで、命をつないでくれてありがとうね。