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ずっと寝ている。もうすぐ生理がはじまることを合図するように、子宮からは(実際は脳内から?)気が立つようなホルモンがめぐらされている気がするし、水分が蓄積して体が重い。疲れている。朝、ごはんを買いに行ったコンビニで、解消しようと「めぐリズム」のアイマスクを買ったのに、買ったことも忘れて寝ていた。この日記を書いたら、つけて眠るかもしれない。

 

本当は、母と焼肉を食べに行く予定だった。近所で一人暮らしをしている母とは、ほぼ毎日連絡をとっているけれど、お正月と、その後に一度会ったきり、会っていない。病があり、友人とも会わずに一人で過ごしているので、なるべく一緒に過ごす時間をつくりたいのだけれど、今日は中止にしてしまった。後から、来週は母の誕生日であることに気づき、更に自己嫌悪。ごめんね、母。

 

気が立ちやすい時期ではあるけれど、同時に気を抜いたら悲しくて「人間やめたい」の気分を心の中で壁打ちしてしまいそうな時期でもある。こういう話をしたり書いたりすると、「情緒不安定だね」と心配されたりするのだけど、え、人間ってそういうものじゃないの?と驚く。

 

昨夜、最近アルバイトで入ってくれた方が、明日は(今日)大学の卒業式なのだと教えてくれた。晴れやかな日の予定を教えてもらって、とても嬉しかった。

他の大学も、多いのだろうか。SNSなどで卒業式の写真が流れてくるので、自分もカメラロールにあったよね、と見返す。くしゃくしゃに笑う、丸い顔のおばあちゃんとの写真があった。私は行きたい大学に落ちて、短大に入学した。今思えば、自分の就職の幅なども考えて素直に大学に行けばよかったものの、私の選択肢はいつも尖っているので、なんかもうしようがない。それでも、その卒業式の日、祖母と、そして母は心からうれしかったそうで、喜んでくれた。その話を聞くと、鼻がつんとして、目に涙がたまってくる。

 

子どもの頃、父と母の怒鳴り声が止まない時間になると、いつも一階に向かった。三世帯で住んでいて、私の家族は三階、従姉妹の家族が二階、そして一階で祖母が暮らしていた。祖父は、わたしが二歳のときに咽頭癌で亡くなった。

 

私が半ベソをかきながら一階に行くと、祖母は大抵テレビをみながら、みかんを食べたり、編み物をしたり、本を読んだりしていた。事情を話すと、「泣くのはやめなさい」と祖母の時間の仲間にいれてくれた。その頃から、祖母はわたしにとって、正常だと思われる時間の過ごし方を教えてくれる人だった。規律があって、やらなければならないことがあって、祖母に教えてもらえば、社会の人たちと足並みを揃えられるとおもった。とても厳しかった。家族のなかで唯一、厳しい言葉をかけてくれた。

 

小学校で必須のテストも、私はよく再試験になったので祖母の部屋で勉強した。毎日の漢字テストも、祖母の部屋で勉強した。以前も日記に書いた、「伊東家の食卓」で紹介されていたから、と記憶力が定着するレモングラスのオイルをハンカチにたらして、テストの時には朝持たせてくれるようになったのはこの頃だった。

 

母が入院して長期的に不在になった後も、いつの間にか父も家を出ていき、自分の家族が私だけになったときは、一階に住まわせてもらった。祖母は料理が大嫌いだったらしいけど、毎日お弁当を持っていかなければならない学校で、祖母はお弁当をつくり続けてくれた。

 

それでも、様々な環境の変化が重なって、私立の小学校に通うことができなくなった私は、6年生の二学期に退学した。諸々の手続きと、担任の先生やマスールへのご挨拶も、祖母が一緒に行ってくれた。祖母がいてくれたから、心強かった。

 

ただ、頭のなかがファンタジーでできている私は、祖母が老いていくことを知らなかった。

 

しっかり者の祖母だから、私からはもちろん、母からも、従姉妹の家族からも、様々なところから頼られていた。今なら、祖母を守ることができたのに、と思う。子どもだった私は、唯一社会と自分を繋いでくれるような祖母に甘えきっていた。祖母は家族が困ったときにお金を渡せるよう、どんどん質素な生活を守るようになっていき、自分の「楽しい」という心をどこかに置いて、ただ生きていた。どんどん老いていった。でも、自分が早死にしたらみんなが心配で仕方ないからと、健康診断を欠かさない人だった。だから、体は健康だった。それでも、転んで骨折をして入院をしたら、そのまま起き上がれなくなるほど体が弱り、全然縁のない、三軒茶屋の病院で亡くなった。私の存在が、祖母に安心してもらえる前に、亡くなってしまった。本当に、愚かな孫だとおもう。

 

短大の卒業式の写真をみて、わたしよりもうれしそうで、笑顔がいっぱいの祖母がとてもかわいいこと、だいすきであること、伝わっていただろうか。わたしが祖母のことが大好きだったこと、今も大好きで、毎日家を出るときに「行ってきます」と伝えていること、知っているだろうか。もし知らなかったら、本当に悔しい。それほど、私は愚かな孫だった自覚がある。

 

人間は、自分の心の内をことばやからだの表現以外で表す術はもっていないはずだから、だから思ったことは、特にいいことは、なるべくはやく相手に伝えたいとおもう。そして言葉を間違えたときは、なるべくはやく、間違えてしまったよ、って伝えたい。

 

こうして祖母のことを思い出して涙をするたびに、悔しくてたまらないから。