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ほとんどベッドの上で過ごす。

昨日は、有給をとって祖父のお葬式に参列した。本屋も人が少ないなかでおやすみをすることは心苦しかったが、たった一度の葬式に欠席しないという選択はなかった。それに、孫として参列したい気持ちもあったが、先に亡くなった父の分も祖父を弔う役目は私だろう、と思っていた。最近は体調不良で動けない時間もあるのでとても不安だったが、仕事で聞いた『エトセトラ VOL.8』のトークイベントが素晴らしく、熱いものをもらったのでその勢いで。4時起き、6時台の新幹線に乗った。

 

初めて乗る北陸新幹線の快適具合に驚く。席と席の間は広く、コンセントまである。高速バス、飛行機は何度も乗ってきたけれど、この快適さを知ったらもう戻れないな。遠方への移動は、なるべくからだに優しく、現地で健康に過ごそうと心に決めてしまう。貧乏なのに。

 

金沢に着いてからは、市内を走るバスに乗って、斎場の最寄り駅まで。そこから地図アプリをみて10分ほど歩く。「住みよさランキング2020」で全国1位になった野々市市。散歩好きにはたまらない看板や緑が溢れていたので、ちょこちょこと写真を撮影しながら。

 

先に着いていたいとこや親戚と挨拶。

私は友人が貸してくれた喪服を着て行った。とても素敵な形だったし、あ、これは友人のなんだ、と時々思い出すとひとりじゃないような気がして元気をもらう。

 

棺の中にいる祖父は、とても痩せ細り、面影がなくなっていた。ただ、眉毛の形は舟喜の眉だね、といとこと話す。毛が長くて、立派な眉をしている。

 

葬儀が終わり、火葬場で焼かれるのを待つ間、食事をとりながら普段の食生活についていとこ達と話す。疲れているときの自炊は難しいこと、野菜をとりたいこと、最近食べているものについて。キャベツのせんぎりにしらすをのせて食べている話がよかったので、今後真似しようとおもう。

 

場内のアナウンスで、火葬が終わったことを知らされる。広めの斎場なので、どこにいても聞こえるようにという気遣いなのだと思うが、ピンポーンとかなり大きく鳴ってアナウンスされるので、鳴るたびにびくっとするのが体に癖づいてしまった。

 

骨になった姿をみて、そして足元から骨壺にいれていく。骨の説明をしてもらった。

私が折ったことのある大腿骨をみると、他の骨に比べたらびくともしない様子の強固な雰囲気漂う骨だった。滅多に折れない骨だと聞いたことがあるので、本当にそうなのだな、とおもう。

 

人の死、そして別れの葬儀はいつも現実を感じるのが難しい。傷つかないように、バリアーをめぐらせているのかもしれない。疲労もあって、ずっとふわふわとした気持ちだった。ただ、父が祖父の葬式に行くことができなかった事実は確実で、悲しかった。

 

祖父の遺影を探すためか、斎場に持ってこられていた父のアルバムを、持ってかえっていいよと渡してもらった。かばんにもはいらない、とても大きくて重いアルバムだったけれど、中には父の子どもの頃から、母が結婚前に兼六園にきたとき、わたしがうまれたとき、たくさんの写真が入っていたから「欲しいです」と手で抱えて持ってかえった。

 

父と母の写真は、いつもイケている。私がうまれなかったら、この二人はもっと自由で、のびのびと、病気にもならず自分の時間を楽しんでいたのではないかとたまに思う。私がうまれる前の二人は、強さを感じる。自由だ、という強さもあるかもしれない。他者を恐れず、自分の道をわがままでも貫いていたのだとおもう。だからかっこよくて、よく写真におさめてSNSにのせている。それで父が生き返るわけではないし、母は何も思わないとおもうけど、この二人の自由な時間がいまもどこかで続いていたらいいなとおもう。みんながかっこいいと言う、わたしもかっこいいと思う父も。

 

そういえば、帰りに北陸新幹線にのって、新幹線の名前が「かがやき」だったことに気づいた。最近かがやきたいとばかり言っていたけど、こんなところもかがやいていたとは。