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少し、風邪症状がおさまった一日だった。風邪のひきかけくらいに戻ったような。食欲があまりない。黄砂とかも関係している?情報が多すぎて、何がなんだかわからない。喉が痛いのでマヌカハニーの飴を買い、なるべく舐めていた。

 

神経内科の薬がなくなったので、通院。

それから最寄駅で色々と買い物をして、帰宅した。

 

今観ているドラマのひとつ『ボラ!デボラ』が最終話だと思って観ていたら、次回予告があり驚く。最初に見つけたとき12話まで配信されていたから、それで終わりだと思っていたら14話までらしい。どうりで中途半端な終わり方だった...

 

今日は父の命日。5月は祖母の命日もあって、さらに先日祖父が亡くなったので、春が別れの季節になってきている。

父と別れて11年目。私は両親が小学生の頃に離婚し、更に東京に住んでいた父は私が中学2年生の頃に金沢に戻ったので、10代、20代は一年に数回会えれば良いくらいの頻度で父との関係を築いていた。

高校生になってからは、わたしが拒食症になり、金沢へ行ってもまともにご飯を食べないし、生活習慣にものすごいこだわりを適用していたので、父と大喧嘩をしてしばらく疎遠になった。夜の金沢で、父にブチギレて荷物をまとめ、全く知らない町に飛び出し、コンビニの店員さんに駅を聞いて駅まで歩き、そこにあったビジネスホテルに泊まった。翌朝帰宅したのだけど、われながら意気の良い家出だった。あのとき「父なんて死んでしまえばいい」と本気で思ったら、次に会ったとき、父は末期癌になってしまったから、父が亡くなってしばらくは自己嫌悪が止まらなかった。

 

しかし、亡くなって何年も経ち、わたし自身が様々なことを経験すると、過去の物事への見方が増え、父に対しても様々な面をみるようになった。父の友人や周りの人から聞く話では素敵な部分が、そしてわたしが家族の様々な事情を見聞きし、見ないふりをしていたことについて見るようになってからは、父の嫌な部分もたくさん知った。納得がいかないこと、理由を知りたいこと、そうしたことに答えてもらえないのは亡くなった人との関係で悲しいことのひとつだ。けれど、一方的に、11年経った今でも父に出会い続けられていることは、とても幸せなことだと思っている。父は友人や家族を大切にしていた人だったから、その人たちは私に対して優しく接してくれる。お金としての遺産は残してくれなかったが、こうした心の豊かさ、やさしさがわたしにとっては一番の遺産だと感じている。

 

最近出会った父は、祖父の葬儀でのことだった。祖父は父の写真を、子どもの頃から大人になって、結婚し、わたしが生まれ、離婚し、金沢に戻り、病院で亡くなるまで、アルバムにまとめていた。そしてそのなかに、父が金沢から家出し、東京に上京した頃に祖父母に宛てた手紙が、きれいに残されていた。封筒に入って。勝手に読んでしまったけれど、父は丁寧な字で、そして礼儀正しい言葉遣いで、両親に手紙を書いていた。東京での生活状況、今頑張っていること、両親への感謝の気持ち、などなど...この手紙を、後生大事に持っていた祖父にも胸を打たれたし、父の繊細な心に触れた気がして、10代の父を愛おしく感じた。まさか、この手紙が時を経て娘の元に保管されることになるとは思わずに書いたものだったろう、もしかしたら恥ずかしいものかもしれない。けどせっかく私の元に辿り着いたので、大切に持っていたいとおもう。