230619_mon

 

日記を書くのが翌日になることが多くなっていて、日記として書きたいことの時間の境界線、気持ちのグラデーションのようなものをどこにおけばいいのかよくわからなくなってきている。

昨日は夜に本屋でポテトチップスについてのイベントがあった。ポテトチップスは大好きなお菓子のひとつだけれど、国民食だという話にたしかにそうだとうなずく。コンビニやスーパーに必ず陳列されているポテトチップス。塩から醤油、そしてフレーバー系まで様々な味があって、選ぶことができる。二時間がっつりとポテトチップスの話を聞いていたら、やっぱりポテトチップスが食べたくなってしまい、夜は我慢したのだけれど翌朝に朝食として、二袋も食べてしまった。結構寝ぼけていたので、あまり考えずに無心で食べた。あまりに塩分過多。起きたら目元が重く、念のため小顔ローラーを念入りに顔の皮膚と筋肉を感じる部分、頬の動くところなどにかけたけれど時すでに遅し、だろう。こういうときにマスクはありがたいのかもしれない。

元気がでない。最近とても元気だが、体調が悪くても、元気でも、どちらにしても心配だとよく言われる。すぐに体調を崩す自分が心配をかけているのだろうか。それとも「うつ病」でいまも服薬しているから、他者の心配をあおってしまうのだろうか。安心できない存在なのか。

少し前にも日記に書いたけれど、自分の尺度で心配をおしつけられているような気分になると、どんな風に応答したらいいのかわからない。それって何も知らないあなたが、あなたに見えている私の状態で、自分が安心したいから心配をおしつけているように感じること、その心配はわたしに選択の自由を与えていないことを、どのように伝えたらいいのか。あなたを安心させるために、私は自分を抑えなければならないのか。そんなことを朝からずっと考えていて、元気がなくなってしまった。

キャンドル・ジュンさんの会見についても、記者の報道倫理について問いを投げかけながら、質問者はカメラの前に立つようにすることなど報道の責任を考えるような形はとても素晴らしいと思ったけれど、配偶者の精神状態を一方的な形で公共の場で晒す発言は、私は賛成できなかった。あの形も、一方的な心配の押しつけの形のひとつだとおもう。対等な人間に対して、相手の心の自由を奪うようなことを、自分もなるべくしたくない。悲しい。