221001_sat_晴

いい天気。天気は、いつも母がラインで知らせてくれる。明日は雨だから傘を忘れずにね、とか、今日は真夏日になるらしいわよ、とか。だから今日も母の天気予報を読んで、薄手のTシャツを着た。

 

はてなブログに公開した日記を、一度非公開にした。この日記は、ワークショップという枠のなかでつけている日記であって、誰にでも読んでもらいたい日記ではなかった、と数日やってみて気がついた。読んでもらうための文章と、日記について考えながら、日記を書くこと、自分なりの境界線があるみたい。

 

そんなことを考えていたら、夜のトークイベントでお客さんがしていた質問が印象的だった。「自分の日記を公開することは、リアルタイムでリアクションがあって、そのことが日記や日々に影響をもたらすことはないですか?」というもの。答えた宮崎智之さんは、「人生で書いた文章を、発表しなかったことがない」とおっしゃっていた。いつも、誰かが読む文章を書いているということ。わたしも、宮崎さんに近いなと感じた。わたしが文章を書くことは、生きているこの世界と自分の橋渡しでもあり、その橋の存在を自覚するために書きたいときもあれば、誰かと共有できたらという願いがある。

 

でも、同時に外部からの影響も、わたしは気にしている。この日記を読んで嫌なおもいをする人がいるかもしれなかったり、特定のだれかに伝えたいことばがうまれてきたり、そうした自分の日々以上のことを日記に反映するようになってしまうと、私が安心できる場所ではなくなるような気がした。こうして日記について考えていると、自ずと自分の日々と向き合うことになり、楽しいな、ありがたい時間だと感じる。

 

最近は、ゆっくり何かと向き合う時間が大変欠乏しているので、日記の存在が大切。わたしは本当に、日記のなかでねむりたい。