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本屋に着くと、レジのところに子どもが描いたような絵が置いてあった。Nさんに聞くと、近所の保育園の子どもが先生と一緒に持ってきたらしい。絵は、お手紙と大きな紙の二つあり、お手紙には「どんぐりくき」の招待状(名前を書く欄がある)らしき文章が書いてあった。どんぐりくき...?と声に出して読むと、Nさんが「どんぐりクッキーかな?」と翻訳してくれた。どんぐりクッキー!小学校の家庭科で、近所の公園で拾ったどんぐりで作った、あのおいしい!と興奮してくる。大きな紙は、本屋に貼ってくださいとのこと。「どんぐりくき」のおしらせポスターだった。「子どもが、話してきたんですよ、「あんねぇ」って」と説明してくれたNさんの真似がまた素晴らしくて、その様子を近くでみたかった...と思う。この話は、今日何度も思い出して、その度にかわいいを噛み締めた。くきの会、どうにか行きたい。仕事中だけど、走って行って帰ってくるから、行ってもいいでしょうか。

 

夜、亜衣さんと韓国ドラマファンクラブのプロフィールを考えながら、書くことと読むことについて考える。最近ずっと考えていることの一つかもしれない。書くことや言葉にすることについて最近やりがいのようなものを感じた瞬間があり、それは例えばドラマの感想や、わたしが話を聞いた相手のできごとや感情を言語化したときに、「自分の気持ちが言語化されたような気がする」と言ってもらったとき。自分の気持ちというのは自分でも気づかなかったり、知らなかったり、抑えてしまうこともある存在だから、少しでも近づく言葉を見つけることができたら、もしかしたら自分の心を知る手がかりになるかもしれない。わたしは相手の心を会話の速さで想像するのは恐らく下手な方、だから寄り添うようなことはしたくても正直難しいのだけれど、自分がこうして書いた文章が、どこかで誰かの心を手伝うことができていたらいい、そう思う。そのためにも、まずは自分自身の心になるべく耳をかたむけていたいし、誠実である努力をする。

 

今の心のなかには、寝る前にニキビの薬を塗ることが面倒くさいこと、コンタクトを洗浄することも面倒くさいこと、がある。そしてなぜかこの文章の切り替えをしてみて、宮崎智之さんのことを思い出した。