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どんどん空気が冷えてきて、毎日が寒い。そろそろマフラーを出したいし、もっと暖かい洋服は部屋になかったか。冬の準備をせねばとおもう。

 

今日は「どんぐりくき」の子どもたちが、参加の可否を記載した招待状をとりにきた。事前にNさんが用意してくれていたので、渡す。思ったよりも子どもたちが大きくて驚いた。最近遊んだ友人の子どもが2歳だから、なぜかその子くらいの年齢を想定していた。一番先頭にいた子に渡すと、その後ろにいる子が「わたしに渡して」という。とてもしっかりしている。子どもってこんなにしっかりと話すのだったか、と感激する。

 

帰りの電車でtwitterをひらくと、つやちゃんさんが「コスメは語りはじめた」という対談企画をスタートしていた。https://note.com/tsuyacom/n/n192fa1c3c2c9

コスメを論じるって、何か強烈に惹かれる。読み進めていくと、第一回は「コスメとファッション」がテーマだった。そして、両者は近くにあるけれど、全く相容れないような気もするという語りから、コスメとファンションの価格帯の違いについても触れられていた。そのことについて、対談では空気感の話が論じられていてとても面白かったのだけど、ここで面白いことに、自分の考えを突き詰めてみたいほうのスイッチがついた。

 

私のなかでは、コスメとファッションでは持っている時間が大きく違うということでしかないと思った。ファッションは、服の形状や素材によっては数年〜何十年も付き合い続けることができる。私が今日着ていたコートは10年以上前に買ったものだし、母が20代の頃に着ていたセーターを持っていたりもする。長く時間を過ごすことができるから、その価値として代価を払うことに違和感はあまりない。(お金があればね!)一方で、コスメは今の自分に対してしか使うことができないから、ファッションほどの価値はない、というのが自分の考えで、これは「時は金なり」ということ・・・?!

 

また、ファッションとコスメのオタクになれない、というところも大きい。特にコスメは深刻で、興味を持とうとしたことは何度もあるのだけれど、コスメオタクの友人が買っているような化粧品に数千円払うことにも躊躇してしまうし、自分の顔に対して様々なコスメを試してみたい、という意欲がない。それでもこの数年は口紅の楽しさに気づき、何色か試しているけれど、マスク生活になって、そして職場が変わって鏡を見ることがほとんどなくなり、意欲は大きく減ってしまった。そして、私にとって化粧をするということは、他者から見られたときに「かわいい」と見られたい、とか、そういう気持ちが強い。むしろ、こわい感情に近いかもしれない。

 

ファッションについては、こちらも様々なお店で試着をたくさんしたりするタイプではないけれど、コスメよりも気分はあがる。手持ちの服をその日の予定に合わせるだけで、楽しみだという気持ちが大きくなったり、自分の気持ちを応援できることが素晴らしいなとおもう。

 

今はとにかくニキビに悩んでいるし、年齢を重ねてスキンケアや化粧の必然性を感じているので、もっと興味を持てるようになったらいいのだけど。つやちゃんさんとマリコムさんの連載に期待します。