221022_sat_晴

落ち込んでいる。昨夜、生理がきた。きっと生理によるものだと思うけど、自己嫌悪が強くきている。今日は帰りに渋谷の薬局でナプキンを買ったら、近所の薬局よりも安くてうれしかった。また、その薬局ではナプキンの場合、手提げ袋が無料だということを知った。ナプキンの袋が無料であることはうれしい。どんなに小さなものを買っても、ナプキンは基本的にかさばる。私は最近エコバッグをなくしてそのままなので、特にありがたかった。だけど、ナプキンを隠すような濃い色の袋や紙袋は、わたしは断るようにしている。ナプキンを買うことは、隠す必要がないから。生理やナプキンについて、もっとオープンに話すことができる世の中になってほしい。これはメンタルヘルスについても言えること。話したくない人が、無理をして話すこともあってはならないけど。

 

それから今日は、自分の内面的なことにごつん、ごつんとぶつかった。ひとつは、経験に基づく価値観の、自分のかたさについて。目の前にあることが、より良いとわかっていながらも、自分が経験してきたことを捨てるような、信じてきたものを新しく塗り替えるような後ろめたさを感じて、すっと入ることができなかった。でも、目の前で聞いてくれた人は違和感に寄り添ってくれて、言葉にならない時間も待ってくれて、そのことがとてもうれしくて、より自分が小さくも思えた。

 

また、今日は本のことが全然わからないと思った。久しぶりに本の仕事に向き合う時間ができたので、棚の前に立ったのだけど、「わからない」と何度もうろうろした。久しぶりすぎたのだろうか。勉強中の海外文学だから、ということはもちろんあったけれど、知らない本があまりにも多かった。選書ができない、と途方にくれた。

 

そのまま、書店員に向いていないのではないかと、最近は忘れていた穴にも落ちそうになる。本の読み方にも、いろいろとある。ほんの少しでも時間があれば本を読むような人に憧れるし、わたしもそうだったら、と思う。わたしはそういう人間ではない。本を読む時間は、本を読む時間。韓国ドラマを観る時間。食べる時間。ぼーっとする時間。たくさん時間がある。そしてここに忙しさや疲れがあったら、もう何もできない。こんなに体力や気力のちいさな人間が、本を大切におもう人たちが集まってくれる本屋で働いていて、わたしが棚担当をもっていて、果たしてそれでいいのか?と、落ち込んでいる。

 

たぶん、壁だとおもう。壁がきた。今の自分がここまでしかできていないという壁。乗り越えたいとおもうことができたら、またわたしは力をつけることもできるだろう。

落ち込んでいるけど、壁に出会えたのだから、よしとするか。