実家はない

 

『本日は最前線の吉日』を読んでいるなかで、鍵っ子さんにとっての「実家」が不思議なものになっている瞬間があり、しかし私には実家がないので、その感覚が想像しかできずに止まってしまった。

 

私の実家はどこなのだろう、といつも悩む。幼少期から小学校3年生頃まで住んでいた家は、間違いなく実家だった。その家は、母方の祖父の墓参りに行く途中にバスの車窓からみることができる。今は縁のあった会社が土地を買い取り、その会社の本社となっている。ページをめくる手が止まり、Googleマップで住所を入れてみた。一年に一回くらい、この行為をしている。写真を360°みて、変わらない場所をわずかに発見する。しかし、そこに実家を感じることはほとんどできない。

その後に住んだ、今も母が住む街は、母とも住んだし、祖母と二人暮らしもしたし、一人暮らしもしたので、街全体がホームではある。地元。でも、屋根があって、部屋があって、そういう実家はどこにもない。

わたしの人生の荷物は、ほぼ自分のちいさなアパートの部屋にあるだけ。物が多いように感じるけど、実家がないとあればむしろ少ないのかもしれない。だから一つ前の日記に書いたように、物を残すことにこだわりがないのだろうか、、。

 

書きながら少し整理されたので、続きを読もう。

 

追記:wikipediaの「実家」項目に、以下の記述があった。日本の概念なのか、と謎の安心。いつか未来で、また考えるかもしれないけど、ひとまず考えるのはやめよう。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/実家

"なお英語には「実家」に相当する語が無い。英語ではfamily(人の集まり。共同体)とhouse(住宅。物体としての家)を区別する。アメリカやイギリスには、日本で江戸時代や明治時代に使われていた「家」という概念(同じ家屋に居住することや血縁関係を基礎とする運命共同体システムという概念)が無い。したがって日本人が「今年の夏、実家に帰省した。」などという内容を英語話者に伝えたい場合は「my parents' house」と言うのが妥当な表現となる。こう表現すれば、正しく理解してもらえる。英語話者も、両親にひさしぶりに会いにゆくとか、孫の成長を見せに両親の家に行くということは普通に行っているので、そうしたことを続けて説明すれば、共感をもって理解してもらえる。"