主に骨折のはなし

 

お腹が痛くて目が覚めてしまった。明日は無事に王子に行けるだろうか。不安。

また眠くなるかもしれないので、先日のひ弱記の続きを書く。

 

・小学校

小学校で、まだ書く大切なことがあった。わたしは6年生の二学期に白百合を辞めて公立の学校に転校した。幼稚園のお受験までして入った学校だったが、みんなと足並みをそろえることができなかったのだ。勉強もとても難しく、学校も遠いので朝の4時に起きて自習をしたり、学校には内緒(禁止だった)で塾に通ったりもしていた。しかし母が病に倒れ入院を繰り返していたり、離婚したり、会社が倒産して引越しをしたりと、家庭環境もごたごたしていたので落ち着いて勉強をできる環境でもなかった。

そして転校したのはいいものの、今度は卒業式も間近の3月頃、家の前で小型ワゴン車?にはねられて、右大腿骨を骨折。滅多に折れない、太い骨だ。わたしが自転車のスピードを出していたのが問題で、5メートル飛んだらしい。それで頭を打たなくて本当によかったが、もしかしたらこのときに実は打っていて、自分が今生きているのは昏睡状態の夢の中なのではないかと、たまに妄想している。

そんなわけで、このときは近所の病院に運ばれたが、おじいちゃん、おばあちゃんが多く入院しており、藪医者で有名な病院だったからかなり不安だった。手術をしなくてもいいかもしれない、とまず骨をのばすためにドリルで膝に穴をあけ、二週間くらいつっていた。やばいよ、局部麻酔で、膝にドリル。貫通するの。あんな恐怖体験はなかなかなかった。ドリルの音がうるさいから、気晴らしに歌をうたって、と言われて半泣きで歌ったのが『世界にひとつだけの花』でした。シュールかもしれない。

結局つってもよくならなくて、手術して金属をいれたんだけど、そこからが藪医者ってかんじで、車椅子で退院したんだけどなかなか歩けるようにならなかった。リハビリをしてくれなかったんだよね。そうしている間にも、またストレスを抱えたのか、かなり重い胃腸炎になって、一週間の入院。このときも歩けないから救急車で運ばれた。

そして退院後も歩けなくて、中学の入学式も入院している病院から車椅子で参加したわたしはかなり浮いており、松葉杖で登校できるようになっても、「そんないつまで経っても歩けないわけなくない?仮病?」と冗談なのか悪口なのか、松葉杖を奪われて返してもらえなかったり、そうして同級生との溝もうまれて、小学校の転校時からだいぶ浮いていたこともあって、学校にうまく行けなくなりました。

ちなみにリハビリについては、良い病院を母が知人に聞いてくれて、これは入院してやったほうがいいということになり、夏休みを使って二か月入院。この入院は、子ども病棟で、同年代の友人もできたり、本当に楽しかった!おかげで歩けるようにもなって。でも、今あたり言われないけど、脚長差が5cmくらいできたので歩き方がぴょこぴょこしていたらしく、学校とかで歩き方変って言われてた。中学生って、そういうものなのかな?なんかきつい冗談で笑い合うような人が多くてすごく嫌だった。

あまりに変だと言われ続け、たぶん頑張ってなおしたんだけど、最近自分が片足を曲げて立つようにしていることに気づいて、なんか自分がかわいそうになったよ。ちゃんと見えるために、負担する必要なんてないのに。

 

足の怪我については、ひ弱記番外編だったかな。これ、自分の整理にもなるからまとめてるけど読む人にとってどうなんだろう。