230314_tue

 

この日記を書いているのは、3月14日の翌朝。体が軽い。

昨日はこんな軽さはなく、四肢の隅々まで重さが行き渡り、時々うなり声をあげながら寝ていた。休日、もう少しアクティブに過ごしたかったのに。

 

最近は、一気に気温が高くなり、花たちも咲くことを急かされ、マスクの着用義務もなくなるなど、世の中の変化が大きい。そのせいか、身の回りでもざわつくニュースが多く、少し疲れていた。でも、昨日一日の疲労感は、恐らく前日の夜に下北沢から家まで歩いて帰ろうとしたからだろう。

職場の人に飲みに連れて行ってもらい、ほぼ確信的に終電を逃した。タクシーを使うことは滅多にないけれど、タクシーという贅沢をすれば、ストレスが少し解消される気がしていた。

ところが、急に歩いてみようと思い立ち、しばらく歩いてみた。タクシーはいつでも捕まりそうな大通り。音楽をちゃんみなとAwichのリピート(最近の定番)にして、前からくる冷たい空気を顔に浴びる。前にぐんぐん進んでいくのは気持ちがよかった。

 

職場の人と飲んでいるとき、「酔ったらどうなるか、酒場でどうなるか?」という話になった。私は聞かれて、「モテますよ(人間に)」と即答。一瞬みんなの顔が固まっていた気がしたけれど、間違いなくモテる。一時期、新橋の立ち飲み屋に一人で通っていた話をして、一応は納得してもらった。

そして、他の人が「酔っぱらったら号泣する」という話を聞いて、私は泣いたりはしないなと思いながら、いやいや数年前に渋谷のミッケラーで号泣したことを思い出した。

細部はなるべく端折ったほうがいいとおもうけれど、恋人とのデートでビールを飲んでいたら、どうやら様子がおかしい。勘だけは良すぎるので、「わたしなんかした?」と聞くと、「ストーリーズでねぎを振り回していたよね?ねぎ、人にぶつかっていたし、俺は酔って人に迷惑をかける人が苦手だから」と言われ、その話だと思っていなかった私は、そのようにおもわれていたことが悲しくて、泣いた。泣き出したら、日頃のいろいろなことが重なって、更に泣いて涙がとまらなくなり、渋谷のこんなおしゃれな人が集まるおしゃれな場所で泣くなんて、と恥ずかしくてたまらなかったのも覚えている。

 

この話をみんなにすると、「え、ねぎ?」となったので、該当のストーリーズを探すことにした。

 

あの日も、新橋の立ち飲み屋で飲んだ帰りだったとおもう。新橋からの帰り道には大井町を乗り継ぎの経由駅として使っていて、その大井町の地面にねぎが落ちていた。本当に、スーパーで普通に買うような長ネギ一本。おそらく、何本かあったねぎが落ちてしまって、持ち主も気づかないまま置き去られてしまったのではないか。

地面に落ちているねぎ。日頃から笑いの沸点が低いのに、酔っ払っているわたしには落ちているねぎなんて最高に面白かった。魔法のステッキのように持って、なにやらひとりごとを喋りながらホームを歩いている様子を、(きっと面白い!)と思ってストーリーズに載せた。

 

ようやくそのストーリーズを見つけたので、久しぶりにみるとこれはやばい。ひどい。完全に酔っ払いの世界で、一人ねぎを振り回している。人もわたしを避けて歩いている。これはたしかに、自分が恋人の立場だったら、ドン引きして、「気をつけたほうがいいよ」というだろう。数年前は、「わたしはネギを見つけて楽しかったのに、なんでこんなに機嫌悪くされるんだ」と内心思っていたけど、今なら心から反省する。酔っ払って、自分の世界に入ってはだめだ。。その頃のストーリーズを見返すと、大体いつも酔っ払っていた。色々と問題を抱えていたので、そうやって日常とのバランスを図っていたのだろうと思うけれど、痛々しく、悲しくなった。

 

そんなねぎの話。

最近は、一人で飲みにいくことはほぼなくなった。

 

歩いて帰宅するチャレンジは、2時間くらい歩いたところで疲れ切ってタクシーに乗った。本当は2字間かからないはずだけど、遠回りをしてしまったらしい。疲れたけれど、いつまでも目的地にたどり着かないこの感じは、道が永遠にあるようで、選択肢がずっと先にあるようで、結構気持ちがよかったなとおもう。