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衝撃を受けている。今日は久しぶりにはやい時間に仕事が終わって、スーパーへ。ようやく自炊の感覚を取り戻せそうなので卵を買おう、と見たら卵のコーナーが大幅に縮小されていて、もはやメインではなくて、隣にソーセージが並んでいた。え?驚きすぎて、心臓がドキドキする。掲示されている文章を読むと、今鶏卵が世の中的に少ないらしい。知らなかった。いつから...?紛らわすように、チーズや焼きそばの麺(ショックすぎて視界が混乱したので、定かではない)が同じケースに。1ダースでの販売はもちろんなく、4個入りを買った。知らなかった。わたしはいつから、卵がないことを知らなかった?

 

これまでずっと、スーパーへの安定的な愛情を保っていた。近所のスーパーの品揃えや値段は、いつも的確な社会の様子を反映していて、あわせて開催されるフェアやPOPの愛情があたたかく、だいすきな存在だから。。本当にショック。よりにもよって、卵が少なくなっていたとは。それでも様々な商品でケースをうめて別の料理を提案する様子は、そのスーパーらしかった。もっとスーパーを確認できる、並の体力を維持した生活がしたい。本当に、スーパーのことはだいすきなんだよ。

 

下北沢では、ボーナストラックが3周年ということで、祝福の雰囲気が漂っていた。わたしが初めてボーナストラックに来たのは2020年の7月頃で、閑散としていたのを覚えている。開業してすぐに緊急事態宣言になってしまったこの商店街が、日常を工夫しながら、楽しいことを呼びながら、いつも走り続けていることを間近でみてきた。この場に対しての尊敬は大きい。自分のことを受け入れて、生活をゆるしてくれている土地でもある。祝福。めでたい。お祝いにきてくれた西川さんとすなばさん、三浦さんのトーキョーブンミャクズさんたちが、なんとなくお正月の挨拶まわりのような空気できて、おもしろかった。

 

そしてここで、また一つ衝撃!これは、げっきげき。日記を途中まで書いて、ごはんを食べていたのだけど、ひと息つき、続きを書こう〜と開いたらなんと消えてしまっていた。あれこれ開いても消えたままなので、かなり悲しくて、でももう面倒すぎて書けないよ。。スーパーの話は大事だったのに、と悲しんでいたんです、今。それで再度何を書こうかね、と「ブログを書く」を押したら、なんと「データがあります、復元しますか?」って。えー!なんて天才すぎる。感激しました。衝撃と感激のダブルゲキ!感謝。そうしたら、まだ書きます。

 

今日も、自分の恋愛に対する執着心を考えていて。恋愛する可能性をもった他者への一対一の関係性について、期待が異常に高いこと。異常。友人であれば、多面的な自己の一部を共有できれば幸福を感じるのに、一部ではなく全てを共有できる相手だと勘違いしてしまう。先入観。前の日記にも書いたように、わたしは小説やドラマ、漫画の世界を本物だと信じていた時代があるので、恋愛は弱さもすべてを共有するもので、真剣に真剣に向き合うものだという思い込みが激しい。自分の辛い息苦しさも、押しつけていい相手だと思っている。いや、そこまでではないかもしれないけど。気軽な感情をもつことができない。

 

昔どこかに書いたかもしれないけど、高校時代に付き合った人は、元々家族ぐるみの関係だった。最初は内緒で付き合っていて、それから相手は親に報告したそうだけど「さとちゃんは大変な境遇だったから、あなたが付き合うのは難しいとおもう」って言われたんだよね、と親の所感を共有されて驚いた。そんなかんじなんだろうか。子どもやパートナー、家族をもたなくても満ちていると感じられるようになったら一番いいけれど、人生に対する先入観を考えると、やっぱり難しいような。トラウマ治療を受けたら変わるのかなぁ。