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今日の予定は決まっていた。ピルをもらいに産婦人科へ行くこと。数日ぶりにシャワーを浴び、気軽な服装に着替え、最低限の荷物を持って外にでる。気持ちが良い。こういう軽さがすき。

 

病院へ着き、受付で「薬のみお願いします」と伝えると、中断期間が長かったので診察も必要とのこと。すぐに終わると思っていたので、本も持ってきていなかった。座り心地の良いソファで、一時間くらいぐでんとする。

 

名前を呼ばれ、診察室の椅子に座ったら、「12月にきてくれた時の腹痛はどうなった?」と聞かれた。先生、ちゃんとカルテをみて気にかけてくださっている。やはり丁寧な先生なんだよなぁ、と一気に信頼を預けて話す。生理痛も徐々に増していることから、内診をしようとなり、さくっと見てもらった。子宮後屈の角度がかなり急になっているのと、内膜症も復活しているとのこと。内膜症のことが本当によくわからないのだけど、ピルをしばらく飲むと小さくなるけど、中断するとすぐに悪化する。困った存在。

しかし、これまでに飲んでいた「ヤーズ」はジェネリックが誕生したらしい。1000円以上も安くなっていた。驚き。物価高ばかりで世の中の市場に希望はないと思っていたので、心がちょっときらめいた。これで腹痛がよくなるといいな。もう、一ヶ月くらい悩まされており、正直内科の薬も効かないので、どうしようかと思っていた。体調不良の原因がひとつわかり、ほっとする。

 

明日も病院。カウンセリングを予約した。健康って大変だな。

 

夕方、twitterをみていたら他者の領域に踏み込もうとする人について、信田さよ子さんの本を引用しているツイートを読んだ。最近考えていることだったので、何度か繰り返し読んで、RTした。

他者を心配する気持ちは、まず善意からはじまるだろう。わたしの体調を心配してくれる人たちからも、善意を感じる。それは先日書いたように、春の日差しのようなものだ。それでも、人にはそれぞれ個の領域がある。自分が心配をすることと、他者の領域に心配を持ち込むことは、他者の領域を侵し、揺らすことになるという点で違うこと。そこまで入りたくなったとき、それは自分の気持ちがどうなりたいのか、安心したいからではないのか、考えてほしい。

わたしを心配してくれる人たちは、心から元気になってほしいのだとおもうけれど、領域に入ってこられると、まるで元気の確約を求められているような気分になってしまう。わたし、本当は元気なんだけどな。まるでわたしがとても弱い人間だと言われているような気分にも陥り、そのことに落ち込んでいる、