230612_mon

 

帰り道、駅前に手相占いのおじいさんがいた。手相占いのおじいさんは、ほとんど毎日駅前にいる。先日、ついに私もみてもらいたいなと思った日にはいなくて、その後は自分の勢いのようなものも少し薄れてしまって、興味はあるけれど声をかける勇気もなくなってしまった。

 

しかし、また毎日その姿を見かけていてふと思った。ほとんどの時間占いをせず、ただ座っているおじいさんは、毎日この街で帰路につく人間たち(私たち)をみているのではないか。そして毎日みていたら様々な人間を覚えるだろうし、その生活リズムを基本に、日々の服装や表情、まとう空気などでその人間を覚えていたら、占いの際にそこもヒントに話をするのではないか。それは自分にとって良いことなのか?

 

仮にみられていて、自分のことも覚えてもらっていたとしたら。でも占いってそういうものなのだろうか。占いという基本を軸に、人間性みたいなものも重ねてもらったら、熟練の占い師は人生に深いアドバイスをくれるのではないか。

 

でも、やっぱり恥ずかしい気もする。毎日手相占いのおじいさんのことが、気になっていることもバレている気がするし。しかもおじいさんが、私が子どもの頃からそこにいたのを、私は知っている。そんなことを考えた帰り道。