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今日はお腹がいっぱい。亜衣さんと、新大久保でご飯をたくさん食べてきた。事前に何を食べようか、とやりとりをしていて、私はお肉が食べたいことを伝えていた。ソルロンタンのお店も気になっていたけれど、更に暑くなるスープよりはお肉が食べたいなと思った。新大久保は、昔から通っている亜衣さんが道もお店も物価もよく知っている。私はいつも付いていくばかりで、申し訳ないと思いながらすっかり甘えてしまっている。今日も亜衣さんが調べてくれたお店に連れていってもらった。

 

韓国料理の店は、店員さんがお肉を焼いたり切ってくれることが圧倒的に多い。調理法が独特だからだろうか。今日も店員さんが、分厚い肉を丁寧に焼き、そしてハサミで均等に切ってくれた。鉄板に並ぶ様子がとてもきれいで、写真を撮る。味のついたネギや熱を通したキムチと一緒に、サンチュに包んだりわさびをつけたり、塩をちょん、とつけたり。口に入れるたびに味を変えて、もぐもぐと食べた。こうやって思い出していると、お腹がいっぱいだったはずなのにまたあの味を口のなかで再現したくなる。なんて素晴らしい休日なんだろう。

 

一緒に過ごすのは久しぶりだったので、お互いの近況について話したり、もちろん韓国ドラマについても話した。それから、入ったコスメショップにたくさん並んでいた「うさぎタコ」(もしかしたらたこうさぎかも、名前を忘れた)のぬいぐるみキーホルダーもお揃いで買った。たこの形をしたキャラクターに、うさぎの耳もついている。リバーシブルで、顔がとってもかわいい。みるだけで癒されて、「え、なんかこの子すごくかわいくない?!」とふたりで驚いた。友人とぬいぐるみを衝動買いする、という場面も新鮮で、とても楽しい気持ちだった。

 

それから昨日は、下北沢で夜ご飯を食べた。日中、昼寝と読書を繰り返していたのだけれど、ピストジャムさんの『こんなにバイトして芸人つづけなあかんか』を読んでいて、何度も登場する下北沢に行きたいと思った気持ちもある。いや、毎日下北沢にいるじゃん、と思ってくださるかもしれないが(日記なのに読んでくれる人に話しかけるのおかしいよな)ほとんど同じ道しか歩かないので同じものばかり見ているし、仕事が終わったら直帰することがほとんどなので下北沢のことをほとんど知らない。いまだに頭のなかで下北沢の地図を正確に思い浮かべることはできないし、下北沢の本屋で働いている人間として、本気で下北沢に向き合わねばと最近決意したのだった。

 

夜ご飯を食べる約束をしていたIさんに付き合ってもらい、下北沢へ。スズナリ横丁をきちんと見たことがなかったので、まず周囲をうろうろとした。そうか、こんな風にスナックが並んでいるのか。それからまた少しうろうろと歩き、「呑もうぜグループ」のBUDOKANなどを確認した。

 

夜ご飯を食べる店に悩みながら、通りがかった「珉亭」へ。実は初めてだったから、とても嬉しかった。有名な赤いチャーハンが食べたかったのだけど、チャーハンのメニューがいくつかあり、どれを頼んだら赤いチャーハンがくるのかわからず、ドキドキしながら普通の「チャーハン」を頼んだ。赤くないチャーハンがきたらどうしよう、とびびっていたが、赤いご飯が届いたので安心した。そして想像以上に赤いチャーハンに、自分が食べられない梅などの味がしたらどうしよう、と不安になったが、食べたら普通のチャーハンだったのでまたもや安心した。一緒に頼んだマーボードーフも出汁が効いている気がして美味しかった。

 

当たり前だが、自分にとって下北沢は今が一番馴染みがある。10代の頃も、20代の頃も、度々遊びにくることはあったがあまり馴染むことができなかった。音楽にも疎いし、古着の見方もわからないし、何となく合わない気がしていたのだ。それが、カレー屋めぐりをするようになったり、アメコミ映画が好きになってSWING TOYSをのぞくようになったり、自分の趣味が増えていくたびに下北沢との距離が少しずつ近づいていった。本屋で働くことになったのは色々な偶然が重なっていたのだけれど、あまり慣れていない街に通うことができるか、最初はとても不安だった。この街と仲良くなれるのだろうか。実際、働きはじめたときの印象として、この街はどんな人間も受け入れるし、自由を尊重してくれるけれど、自分の足でしっかりと地面を踏みながら歩くことができなければ、すぐに風で吹き飛ばされてしまいそうな、そんな強さを感じたし、そのときの自分の弱さも感じた。

 

今年の秋で3年。段々と下北沢の風に飛ばされないようにはなってきたなと感じている。そしてこれから下北沢の体内に潜るべく、飲みにいくぞ、と意気込んでいる。先輩方、どうぞ色々教えてほしい。